日本看護研究学会雑誌発行50周年記念誌
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4日本看護研究学会雑誌発行50周年50周年記念座談会古きを訪ねて再確認したいこと 日本看護研究学会の50周年を心からお祝いするとともに、座談会の場にお声をかけてくださり、感謝申し上げる。 当日は、以下について語った。順を追って記す。 「古きを訪ねて」  1.四大学看護学研究会から日本看護研究学会へ  2.看護学教育のエキスパートと医師 「再確認したいこと」  3.日本看護研究学会との関わりから  4.人文社会科学研究科での学びを通して  5.シェーラーの同情の本質と諸形式  6.日本看護研究学会のさらなる発展のために♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪学会開催に寄与した。中でも松岡淳夫先生が事務的な整備を含め縁の下の力持ちとなり、千葉大学教育学部特別教科(看護)教員養成課程(以下、特看)で教鞭をとりながら、学会協議会、本学会の母体となる四大学看護学研究会が発足した。私は、1978年、弘前大学教育学部の特看を卒業と同時にこの学会に入会した。くしくも、四大学看護研究会雑誌の創刊号発刊の年であった。 四大学看護学研究会は、4国立大学教育学部特看を持つ熊本大学、徳島大学、弘前大学、千葉大学の看護学教育のエキスパートと看護学教育に情熱をもっていた医師たち教員が、毎年1回集まって四大学協議会を開催し、カリキュラムの編成に尽力し、「学問のないところに大学はない」「医学診断があるように、看護診断の時代になる」など語っていた。 恩師でもある川上澄先生は、日本看護研究学会に名称変更してからも、各会場に足を運び「方法論が違う」1.四大学看護学研究会から日本看護研究学会へ 1975年に、看護学教育のエキスパートと医師たちの尽力と、徳島大学の福井公明先生が第1回四大学看護研究工藤せい子(弘前大学 名誉教授)「検定の方法が間違っている」「目的と結論があっていない」と、時には根底から覆すようなコメントを述べ学会のレベル向上に尽力した。喜先生、成田栄子先生、徳島大学の伊藤暁子先生、野島良子先生、弘前大学の吉田時子先生、吉武香代子先生、千葉大学の前原澄子先生、そして、当初から松岡淳夫先生とともに、また学会の変革期に長きに渡り理事長を務められた山口桂子先生、黒田裕子先生たちであった。 医師は、千葉大学の村越康一先生、松岡淳夫先生、熊本大学の山元重光先生、徳島大学の福井公明先生、そして弘前大学の川上澄先生たちであった。委員、学会賞・奨励賞委員会では委員長の立場で、毎年35前後の原著論文を評価し取り纏め、申請書と推薦書を作成することであった。原著論文を拝読し特筆すべき事項として、研究の質は、量的研究は少なく質的研究が多くを占めるようになったことである。量的研究も優れた計算ソフトのおかげで信頼性が高くなってきているが、「検定は、あくまでも自分の考えを擁護するものであって、絶対ではない」という先人の教えを今一度押さえておきたい。質的研究のレベルアップは目覚ましく、人間一人として同じ人はいないクライエントを丁寧に分析した成果が見え、継続・発展を願う。生体に与える影響」と量的研究であったが、「倫理的問題解決の試み」という質的研究も加わった。人文社会科学での学びは、ドイツの哲学・倫理学者であるマックス・シェーラーの「同情の本質と諸形式」を約1年かけて、弘前大学名誉教授諸岡道比古先生が講師となり原語と併せて読むことができたこと、看護職は一人として同じ人がいないクライエントと向き合うために哲学・倫理学が欠かせないと確信できたこと、である。チーム医療の中心である看護職の考え方がしっかりしていないと、医療技術の便利なものが不便なものになり兼ねない。 今抱えている問題が何かを考える時に、問題解決ツール(ジョンセンの四分割、トンプソン10段階など)を使用する。並行して、自分の心理状態が、シェーラーが2.看護学教育のエキスパートと医師 看護学教育のエキスパートとして、熊本大学の木場冨3.日本看護研究学会との関わりから 私の学会での関わりは、評議員・査読委員。理事としては、2年間、大規模災害支援事業委員会の委員を務めた。8年間、奨学会委員会委員、学会賞・奨励賞委員会4.人文社会科学研究科での学びを通して 私の研究課題は「日常生活動作が条件の違いによって

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