日本看護研究学会雑誌発行50周年記念誌
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8日本看護研究学会雑誌発行50周年50周年記念座談会 奨学会」事業や学生会員の設定などにみられる学会の また,本学会では,2011 年の東日本大震災以降,「大規模災害⽀援事業」を展開している。特に当初の「奨学会」事業では,若手研究者を対象あるが,研究計画書が認められたのちには,期限の中その奨学金の使い道や領収書を提出する必要のない究への助成制度などが普及していなかった時代にお風土の中で進められた貴重な研究が多々発表された。れた諸先輩や後輩の方々は,その後も広く看護界で活をみるにつけ、多くの参加者がその文化を「居心地よい」いる(きた)皆さんでもある。 て特化したこの事業は,今なお継続されている。この「研究者育成」に通じるものである。 ,学会設立当初からの,研究の経験や実績を問わない,その後も自由で垣根のない研究発表や情報発信の環学会が社会的人格を得るための「法人化」の過程にお今の本学会の新たな試みや発展をみるにつけ,多くの感じてくれている賜物ではないかと推察している。 が,看護学生や若手研究者を対象として特化したこの事業は,今なお継続されている。この取り組みもまた,本学会の特色である「研究者育成」に通じるものである。 以上のような特色にみられるように,学会設立当初からの,研究の経験や実績を問わない,参加者がその文化を「居心地よい」と感じてくれている賜物ではないかと推察している。 なり、社会的にも「看護職人材育成」への関心が高まりつつあった。しかし、看護や看護師(当時は看護婦)に 大震災以降,「大規模災害⽀援事業」を展開している情報発信の環境を提供してきた。その考え方は、本学会が社会的人格を得るための「法人化」の過程においても継承され今に至っているが、昨今の本学会の新たな試みや発展と感じてくれている賜物ではないかと推察している。な変革は「法人化」である。 2009年、本学会は、「一般社団法人日本看護研究学会」として再出発したが、この大きな組織変更に至るまでには、本学会を運営してきた歴代の諸先輩や会員諸氏、その他多くの関係者の皆さま方のご苦労とご尽力、ご理解なくしては、成しえなかった。本学会が「法人」として目指したことやその道のりを、当時の社会情勢とともに振り返る。1)「法人化」に至る背景と道のり(1)「看護学」の社会的認知に向けた取り組み〈学問としての「看護学」の確立と学術会議への登録〉 本学会は上述のように、大学での看護師養成・看護教員養成のための「看護学」の模索や探求を契機として始まったが、「日本看護研究学会」と名称変更し、全国規模の学術的な学会へと発展してきた。その頃から、学会活動を基盤として「看護学」の学問としての社会的認知2.「法人化」によって目指したこと この学会が50年の歩みを遂げてきた歴史の中での大きを得るための取り組みが始まった。間口や裾野を広くした学会の姿勢は,その後も自由で垣根のない研究発表や情報発信の環 1990年当時、日本全国で11校しかなかった4年制看護境を提供してきた。その考え方は,本学会が社会的人格を得るための「法人化」の過程にお系大学が、1992年の「看護師等の人材確保の促進に関すいても継承され今に至っているが,昨今の本学会の新たな試みや発展をみるにつけ,多くのる法律」の成立によって、急激な増加がみられるようについて知らない人はいない一方で、その社会的地位は高いとは言えず、学問としての「看護学」の確立と普及・啓発は急務であった。 本学会の社会的認知を得るための取り組みは、同じ思いを持つ複数の学会や大学との連携によってすすめられたが、そのための具体的な方略として目指したことは、まず、看護系学会が学術研究団体として学術会議に登録されることであった。本学会も、理事長制度を新設するなど、数年間にわたって登録の承認が得られるような活動と組織の整備に努めた結果、金川克子初代理事長のもと、1994年第16期学術会議への登録が認められることになった。とはいえ、この期の「関連研究連絡委員会(以下、研連)名」としては「精神医学」への所属であり、看護系学会の登録も5団体のみであったことから、「看護学」研連は認められず、その後も「看護系学会連絡協議会(当初の名称、2001年日本看護系学会協議会として正式に発足)」などの活動を通して、「看護学」研連の設置に向けた働きかけを続けていった。その後、各学会の努力の甲斐あって、登録学会も着実に増え、2000年第18期には「看護学」研連が設置されるに至った。この間、最初の看護系学会の登録から約10年間で「看護学」研連が誕生したことになるが、この速さは異例であると、後に学術会議にかかわる事務担当者から伺った。私は、本学会から推薦された立場で、日本看護系学会協議会の組織化に向けた取り組みのお手伝いをさせていただいたが、「看護学」の学問としての認知を目指す各学会の重鎮の方々の熱意と社会ニーズとが相まって、この実現に至ったことが思い起こされる。今では、当然のことである「文部省科学研究費(当時の名称)」の看護系研究課題の審査員についても、この頃、要望を出したことでようやく看護学研究者を候補者として推薦できるようになったが、各学会の連携による地道な活動が、学問としての「看護学」を社会に定着させていったものと考える。〈「法人化」による社会的人格を有することの検討〉 看護学の社会的認知に向けたもう一つの取り組みは、「法人化」による社会的人格を有することであった。本学会を始め、多くの看護系学会が「任意団体」として学会活動を行っている中で、「法人」という社会的な人格を持った組織へ移行することの検討が、本学会においても、将来構想の話し合いの中で進められていた。これに

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