ふつつかThe 50th Anniversary伝統ある学会を引き継ぐコロナ禍を駆け抜けた学会運営を思うただきますことを大変光栄に思います。ご関係の皆様方に厚く御礼申し上げます。 私は第13代の理事長を拝命したわけですが、3年も前のことになります。皆さんはもう忘れてかけておられるかも知れませんが、当時は未曾有のコロナパンデミックの只中でした。 このグラフ(Our World in Data による)を皆さんはよくご記憶だと思いますが、一週間毎のコロナウイルスの感染者数の折れ線グラフです。感染流行の起伏は、このように1波、2波と表現されました。この赤い矢印線で示した2020年6月から2022年6月までの2年間が私どもの任期でしたが、このころは感染率はまだ比較的低かったのですが、致死率が高かったんです。ですから、非常に恐ろしい病気が流行ってきたものだと、私などは生まれてこの方、こんな体験をしたことがなかったせいか、毎夜寝床で底知れない不安に駆られて、よく泣いたりしていました。そんな時期に理事長をしなさいということになったので、打診があったときは一瞬ひるんだわけです。しかしながら、自分もこの学会に長年の間お世話になり、古参の一人となったということで、不引き受けすることにしました。このような伝統ある巨大学会の運営の代表者を、身分不相応な身で担うわけですから、少なくとも私どもの2年間で、学会を後退させたり衰退させたりしては絶対ならない、この学会のステータスを保ちつつ、せめて現状を維持するのが使命だと思いました。とはいえ、学会が抱える何らかの問題があるはずです。そのためにはこのコロナ禍に於いてでも、そうした問題を単に検討するだけで終わるのではなくて、解決に向けて取り組むということをしなくちゃいけない。積極的に問題解決に取り組んで、ほんの少しでも前コロナ禍突入期で代表理事を拝命 このたび学会50周年を記念する座談会で発言させてい深井喜代子(岡山大学 名誉教授)束ながらお進させよう。というのも、そうしないと後退してしまうという危機感がありました。そのような、なかば切迫感に駆られて、覚悟をもって理事長を引き受けさせていただいた次第です。 先ほどの先生方のお話にありましたように、この日本看護研究学会は1970年に設立された本邦初の、看護学系の学術団体です。私のルーツは生理学者なのですが、今から40年ほど前の1980年代終わりごろ、縁あって高知県立大学で看護学を勉強しました。そのころは看護系の四年制大学は全国に10校余りしかなく、看護学教育の大学化が始まったばかりで、日本では看護学がまだ学問の一領域と認知されているとは言えないような時代でした。思えばその十数年前に、日本看護研究学会はすでに存在していたわけです。幸運にも、私は卒論で取り組んだ介入研究をこの学会で発表させていただくことができました。今思えば(私が看護学者に転身できたのは)この学会があったおかげでした。 それから30数年の間に、看護学はおどろくべき進歩、発展を遂げてきたように感じます。入会されて間もない若手研究者の方にはピンとこないかもしれませんが、(50周年記念の年を機に)日本看護研究学会の我が国看護学界に於ける存在意義をしっかりと認識していただきたいと思います。日本看護研究学会は包括的な看護学の学術団体です(図1)。 私は2019年暮れから始まったコロナパンデミックのときに理事長を拝命しましたが、まだ一般会員であった30年前は、正直申しまして、本学会の目的や学会設立の経緯とかにさほど関心を持っていませんでした。初めての理事のお役目は、ちょうど2000年頃にいただいたのですが、そのときでさえ、定款をまじめに隅から隅まで丁寧に読むようなことはしませんでした。もちろん、仰せつかった委員会の規程や申し合わせについては精一杯勉強したんですけれども。そのような、あまり褒められた理事ではなかったのですが、理事長を拝命したからには当然のことながら、日本看護研究学会の定款全文を隅々まで読んで、大事なところは赤線を引くという作業をしました。直近数年間の議事録も隈なく目を通して頭の中を整理し、気持ちを正して大役に取り組みました。ここで、定款に書かれているコアな文言を、読み上げてみましょう。もしかしたら、この会場内にこれを暗記しているという奇特な方がいらっしゃるかもしれませんが。その文言というのは「日本看護研究学会は広く看護学の研究に携わる人々を組織し、看護に関わる教育研究活動を行い、看護学の進歩発展に寄与すると共に社会に広く貢Japanese Society of Nursing Research 11
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