The 50th Anniversary「法人化」、そして「大規模災害支援事業」第5代〜8代 理事長 山口 桂子学会設立から50年の歴史の中で、まれにみる様々な出来事を経験した、2004年〜 2012年の8年間、理事長を担当させていただきました。歴代理事長や歴史を作ってきた諸先輩の念願であった「学術会議への登録」や「法人化」、一般社団法人として再出発をした矢先の東日本大震災、ほかにも初めて経験する訴訟への対応など、さまざまな課題や緊急事態にも遭遇し、そのつどの最善を考えて会員の皆様とともに歩んできました。それまで私自身が「看護学を追求し、研究成果として社会へ還元する」ことが「学会」の役割と認識して活動してきましたが、「学会」も社会の一員として、法律を遵守し、社会からの様々な影響を受けて活動している組織であることを痛感することにもなりました。理事としての時代も含め、主な出来事とともに振返ってみたいと思います。「看護学」の社会的認知と「法人化」に向けた取り組み2009年に本学会は、「一般社団法人日本看護研究学会」として再出発しましたが、この大きな組織変更に至るいきさつについて、まとめてみました。 学問としての「看護学」の確立と学術会議への登録本学会は、発足の経緯から「四大学看護学研究会」の名称で始まり、学会としての充実が図られつつあった第8回学術集会からは「日本看護研究学会」と名称変更し、全国規模の学会へと発展してきました。そして、この頃から、学会活動を基盤として「看護学」の学問としての社会的認知を得るための取り組みが始まりました。もともと、「看護学」やその「教育方法」を4年制大学で教えることへの探求から研究学会が創設されたという背景がありましたが、1990年代に入って4年制看護系大学の急激な増加という社会的な情勢とも相まって、「看護学」の確立と普及・啓発は急務となっていました。看護や看(愛知県立大学 名誉教授)護師(当時は看護婦)について知らない人はいない一方で、「看護学」への理解はあまり明確になされていなかった現状がありました。社会的認知を得るための取り組みは、同じ思いを持つ複数の学会や大学との連携によってすすめられましたが、そのための具体的な方略としてはまず、看護系学会が学術研究団体として学術会議に登録されることでした。本学会も、理事長制度を新設するなど、数年間にわたって登録の承認が得られるような活動と組織の整備に努め、金川克子初代理事長のもと、1994年第16期学術会議への登録が認められることになりました。しかし、この期の「関連研究連絡委員会(以下、研連)名」としては「精神医学」への所属であり、看護系学会の登録も5団体のみであったことから、「看護学」研連は認められませんでした。その後も「看護系学会連絡協議会(当初の名称)」などの活動を通して、「看護学」研連の設置に向けた働きかけをつづけた結果、登録学会も着実に増えて、2000年第18期には「看護学」研連が設置されることになりました。今では、当然のことである「文部省科学研究費(当時の名称)」の看護系研究課題の審査員についても、この頃、要望を出すことでようやく看護学研究者を候補者として推薦できるようになりましたが、各学会の連携による地道な活動が、学問としての「看護学」を社会に定着させていったものと考えます。 法人化への道のり学術会議への登録を果たしたのちの大きな課題が「法人化」でありました。本学会を始め、多くの看護系学会が「任意団体」として学会活動を行っている中で、「法人」という社会的な人格を持った組織へ移行することの検討が、将来構想の中で進められていました。これには、他の学会との足並みをそろえて、公益性をもった「法人化」によって、社会の中での看護系学会の存在を知らしめていくねらいがありましたが、本学会の事情としては、学会員の大幅増Japanese Society of Nursing Research 23社会とのつながりを実感した8年間:
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