日本看護研究学会雑誌発行50周年記念誌
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2The 50th Anniversary. 学会運営100名と巨大であり、いわゆ,る専門分野を問わないアンブレラ学会であったことを今第9代〜 10代  理事長 黒田 裕子このたびは本学会が50周年を迎えるとのこと、誠におめでとうございます。原稿執筆の機会を与えていただき、ここに感謝申し上げます。本学会発展に貢献したかどうか全く見えない状況で担った3年間ではありましたが、思い出す限りのことを体験談として書かせていただきます。1.学会業務事務局の移転わたくしは、12年前にもなりますが、2012年5月〜 2016年5月までのあいだ、理事長をさせていただきました。山口桂子理事長の厳しくも厚い情熱的なご指導のもと、引き継がせていただきました。わたくしが理事長時代のもっとも大きな出来事は学会業務事務局の移転でした。本学会の学会事務局業務は学会発足以来、いわゆる企業ではなく、理事たちの昔ながらの知り合いの一般の方々と契約して担っていただいていました。学会業務を手弁当で手作業同様の形態で長く担っていただいていたのです。この数名の方々の、そのご苦労は耐え難くたいへんであったことを今思えば、想像に絶します。当時は、まだまだアナログ主流でしたので、手作業主流の仕事をこなすことが中心でした。わたくしが理事長を引き継がせていただいた当時は、いまだこの方々で学会事務局業務を担っていただいていました。わたくしは、千葉にあったこの事務局に幾度となく足を運ぶなか、この方々の大変さを肌で感じ続けていました。もちろんこの方々で担っていただいていたからこそ、人間味あふれる暖かさも感じていましたが、一方で限界も感じざるを得なかった状況でした。しかしながら、以前からも引き続き起こっていた諸々の問題が次々と起き、半ば危機的な状況であったことも事実でした。事務局として使用していた場所の古さ狭さやトラブル、会員管理業務の手作業の限界、煩雑な編集業務等々、個人で担い続けることの限界が大きな問題となってきていたのです。事務局は、火の車といっても過言ではない状況だったのです。そこで、副理事長及び庶務担当理事等から組織されて(湘南鎌倉医療大学大学院)いた監事会で時間をかけて何度も検討し、複数の学会業務委託会社との交渉を経ながら、現在も継続して委託している学会業務委託会社㈱ガリレオへと移転するにいたりました。今思い起こしますと、㈱ガリレオのプレゼンテーションは群を抜いていました。この会社なら大丈夫だと理事たち一同で賛同し、決定するにいたったことを思い出します。理事会でも何度も繰り返し検討したことを思い出します。2025年現在も引き続きこの会社で本学会業務委託を継続していただいていることが何よりもありがたいと思います。本学会は当時、会員約6更ながらに思い出します。したがって、各理事が担当する委員会の課題は多岐にわたっており、検討するべき課題の複雑さに対しては、決定することの困難さが常に伴っていました。理事長として、議論には波風を立てないように穏便に事を運ぶようにと肝に銘じていました。本学会は歴史を積み重ねていることの強みがあり、会員とのあいだの絶対的な信頼関係を有していることに感謝しておりました。理事たちも常連組が多く、だからこそ動じず数々の難題に向かい、解決できていたのだと考えます。わたくしが理事長をしていたあいだは、挑戦的なことには挑まず、粛々と目の前の課題をこなすことが精いっぱいだったように思います。したがって、新しい試みなどはしていません。すべての委員会は委員長に任せておりましたし、とりわけ大きな問題も起こっていなかったと思います。したがって、本学会をふつうに存続させることはできても、発展させられるような試みはできませんでした。1つ挙げるとするならば、冒頭に述べました通り、学会事務局業務委託を企業に移したことではないかと考えます。以上、たいへん短くなってしまいましたが、わたくしの思いを執筆させていただきました。Japanese Society of Nursing Research 25学会組織運営に対する思い

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