日本看護研究学会雑誌発行50周年歴代理事長第11代 理事長 川口 孝泰 本学会も発足から50年を迎え、学生時代から本学会とともに学術の道を歩んできた私にとっては感慨深いものがあります。記念誌の刊行にあたって原稿依頼を受けた際、私のなかに学会発足当時の思い出が溢れました。私は本学会の設立時に千葉大学教育学部特別教科(看護)教員養成課程の学生でした。千葉大学の西千葉キャンパスの教育学部棟4階の共同研究室で、本学術学会の設立に向けての熱い思いを交わす先生方を見ながら看護学教育を受けました。私が教育学部に入学したのは1978年の4月です。1975年に本学会の前身である「四大学看護学研究会」が発足し、1981年には学会名称は「日本看護研究学会」となりました。私が千葉大学に入学したころは、まさに看護学の学術学会を立ち上げていく生みの苦しみのど真ん中でした。話題は、「看護学とは……」「海外における看護学の学術事情」「日本における看護学のあるべき将来」などなど。私は、このような議論が大学で行われていることで胸がわくわくしました。「大学に来た !!」っていう感じでした。それから40年余り経った2016年、私が日本看護研究学会の理事長になるとは想像もしていませんでした。理事長として何ができたのか? 2016年当時は学会員の数が徐々に減少し始めたころでしたので、学会員の減少を、どう食い止めるかが大きな課題の一つでした。日本看護研究学会が、どんな会員で構成されているかは、学会とともに成長してきた私には把握できていました。本学会の構成員は主に、千葉大学看護学部附属看護実践研究センターで研修を受けた看護管理者の方々が毎年入会(医療創生大学 国際看護学部)し、会員数を増やしていきました。全国から集まった大学附属病院の看護管理者の方々によって学会が育まれ、成長していきました。また、それと連動するように、本学会設立の起点となった特別教科看護教員養成課程のある国立4大学で学んだ学生たちも加わり、本学会の特徴である地方会の設立にもつながりました。看護管理者と国立大学の教育学部で看護学を学んだ若手卒業生たちのコラボレーションは、本学会の独自性を生み出したと言っても過言ではありません。しかし、2000年に入った頃から、看護界は多くの専門分野の学会を立ち上げ、総合学会から専門学会に活動の場が移っていきました。この背景には、看護学を学術界にアピールしていくため、看護系学会の絶対数が戦略的に必要だったことも影響しています。本学会は学際性を目指し、設立当初から看護以外の学問との交流が盛んでした。しかし看護の専門分化が進むにしたがって多くの会員が専門学会へとシフトしていったことが、会員数の減少につながった大きな原因とも考えられます。一方で、日本学術会議の会員を輩出する学問分野として看護学が位置づけられると、全国に看護系大学の創設ラッシュが始まり、看護の専門性の進化と同時に教育の大学化も加速しました。このような背景のなかで、本学会と同じ看護の総合学会として発展していた日本看護科学学会が、看護系大学のアカデミアの発信場所として大きく発展することとなりました。ここで、私が理事長として将来構想委員会の委員長として提案したレジメを以下に示します。26日本看護研究学会 第11代理事長の想い
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