日本看護研究学会雑誌発行50周年歴代理事長第12代 理事長 宮腰 由紀子 日本看護研究学会が50周年記念事業の一つとして記念誌を発行されるに当り、心からお祝いを申し上げます。1970年の看護研究協議会活動から始まり、これまでに多くの先生方が精魂込めて関わられ育まれてきた本学会の半世紀以上もの活動を振り返りますと、誠に感慨深いものがあります。晴れがましいこの時を、胸に去来する懐かしい想い出とともに皆様と祝えることを有難く思います。そして、これからも会員の皆様方の御活躍により、一層の充実した学会活動が展開されることを確信しております。さて、私の人生で最初の学会発表は、徳島大学で村田栄先生が会長として開催された第5回学術集会でした。発表は1会場のみで、参加者全員が参加し発表時間も質疑時間も今の倍ほどの長さが組まれていることから、あらゆる専門分野からの質問が活発になされ、発表者にとっては厳しい時間ではあるものの、とても意義深く濃厚な時間を過ごせたことは確かでした。こうした〈あらゆる専門分野から学会参加が可能〉で〈十分な質疑応答時間がある〉ことは、発足時からの本学会の特徴と外部から評価されており、良い方法だと感じる方が多く、各学術集会では様々に工夫しながら取り入れられています。発表とその後の質疑応答をどのようにするか、全体討議か専門分化かという点について当時は学界内でも意見が分かれており、より専門性の高い検討をということから専門特化した学会が多く設立された一方で、英国生理学会のように全員参加の下での発表と質疑こそが本来の当該学問の責任として重要だとした学会もありました。私自身は、両者での発表を体験した上で全体での質疑・討議の大切さを痛感していますし、専門分化して濃密な討議がなされる必要性も感じています。また、学術集会運営に携わった経験から、学術集会開催場所やプログラム上の時間配分などの制約などもあり、工夫のしどころでもあります。この事は他学会も同様の課題だったようで、学会間交流などを含め相互の意見交換などを行うなど、こうした試行錯誤の上に、多様な発表形式と運営方式で行う発表スタイルを同時に組みこむなどにより、解決が図られていきました。更に、今日では新型コ(広島大学 名誉教授・日本福祉大学 名誉教授)ロナウイルス感染症の流行のお陰で遠隔会議方式の精度向上と利用者拡大が一気に進んだことを受けて、学術集会会場への現地参加も遠隔参加も可能となり、世界の何処にいても参加できる環境となったことと、翻訳環境が格段に進歩したことから、今後の本学会では、学会発表の形式と方式に加え海外参加の側面からも更に工夫を重ねることで、一層の活気ある学術集会と学会活動を展開できると期待しております。学会運営と学術集会の運営は、今日では学会発足時に比べて著しく変化しています。本学会発足当初から数年は毎年替わる学術集会長が行っていました。会員数が現在の規模より少ないとはいえ、事務局担当者の負担は大きいものでした。そこで本部事務局を固定化して学会本部関係事務を行うことになり、学術集会担当の先生方のご負担は随分と軽減されました。しかし、会員数が増えるにつれて技術的経費的に課題が大きくなったことと、社会情勢の影響を受けて法人化されたことで事務処理が高度化したことなど、幾つかの要因が重なり、学会本部運営事務を専門業者に委託することになりました。検討の結果、株式会社ガリレオ様にご協力をいただいて今日にいたっております。なお、法人化にあたっては定款のみならず諸規則改正等が必要で、当時の陣頭指揮をとられ纏め挙げられた山口桂子先生のご苦労は大変なものでした。幸いに運営委員会および各委員会等において伊藤暁子先生、川嶋みどり先生、草刈淳子先生、田島桂子先生、前原澄子先生、松岡緑先生、野島良子先生、大串靖子先生、近田敬子先生、泉キヨ子先生、中木高夫先生、早川和生先生、川口孝康先生、中西純子先生をはじめ、多くの委員の先生方が積極的に活発に討議を重ねられ、会計関係や法務関係について専門家からアドヴァイスを頂きながら、一般社団法人として新しい活動期を迎えることができたのでした。その折りに私は会計担当として参画しましたが、法人用の会計規則・会計運用規定・諸会計書式の大幅な変更整備が必要で、御一緒に作業に取り組んで下さった大串靖子先生、山田律子先生、叶谷由佳先生および大島会計事務所の皆様には多大なご尽力を頂きました。特に、会員の皆様が速やかに新会計28学会とともに
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