The 50th Anniversary1)令和健康科学大学看護学部 田中 裕二 2024年(令和6年)に第50回学術集会が奈良で開催され、本学会が創立して50年が経過した。第1回〜第33回の学術集会の詳細は「日本看護研究学会雑誌 発行30周年記念誌」(平成20年3月発行)をご参照ください。ここでは4つのパートに分けて概要を紹介する。四大学看護学研究会 日本看護研究学会の第1回から第7回までの学術集会は、正式には「第○回四大学看護学研究会」という。本学会の起源は、4つの国立大学(弘前大学、千葉大学、徳島大学、熊本大学)の教育学部に設置された高等学校衛生看護科の教員を養成する「特別教科(看護)教員養成課程」に所属する先生方が中心となって設立された四大学看護学研究会である。第1回および第2回研究会(学術集会)は非公開で、参加者はこの4大学に所属する先生方のみであった。第1回は昭和50年(1975)9月に徳島大学の福井公明先生を会長、第2回は昭和51年(1976)9月、弘前大学の吉田時子先生を会長に開催された。 翌年の第3回は昭和52年(1977)9月に熊本大学の山元重光先生を会長に開催された。第3回研究会からは四大学以外の先生方も参加できるようになり、開かれた研究会となった。第4回は昭和53年(1978)9月に千葉大学の村越康一先生が会長をなされた。研究会の開催地が徳島、弘前、熊本、千葉と一巡し、第5回は再び徳島に戻り、昭和54年(1979)9月に会長を村田栄先生が担当された。シンポジウムは「大学における看護学教育の検討─大学における看護研究─」というテーマで行われた。第6回は昭和55年(1980)9月に弘前大学の川上澄先生を会長に開催された。特別講演は「看護分野における研究に望まれること」というテーマで行われた。第7回は昭和56年(1981)9月に熊本大学の佐々木光雄先生を会長に開催された。シンポジウムは「大学における看護学教育の検討─実験看護学をめぐって─」をテーマに行われた。総会(9 月27日開催)では研究会の名称を「日本看護研究学会」へ変更することが承認された。次期会長の石川稔生先生(千葉大学看護学部)は、昭和57年5月に開催する学術集会の名称を「第1回日本看護研究学会総会」とはせずに、本研究会の歴史を引き継いで、「第8回日本看護研究学会総会」として開催された。 第8回総会は昭和57年(1982)5月、千葉大学の石川稔生先生を会長に開催された。学会名の変更により学会誌名も第4巻第2号から「日本看護研究学会雑誌」と改称され、昭和58年(1983)3月20日発行の第5巻第3号には、事実上の第1回となる第8回日本看護研究学会総会の特集として、「日本看護研究学会の歩み─その発足から今日まで」が掲載されている。 第9回総会は昭和58年(1983)5月、千葉大学看護学部の松岡淳夫先生を会長に開催された。会員が研究の実態や成果を討議する国際的な場面を学会に持ちたいとのことで、当時ミネソタ大学看護学部準教授のマリア・シュナイダー博士を招聘された。第10回総会は昭和59年(1984)7月、熊本大学の木場冨喜先生を会長に開催された。メインテーマは「学会10年の歩みと今後の課題」で、会長講演を行われた。第11回総会は昭和60年(1985)9月、厚生省(現厚生労働省)看護研修研究センター所長の伊藤曉子先生を会長に開催された。会長講演のテーマを「看護学教育に関する研究への模索」として講演された。記念誌では、研究会発足当時の思いとして、『将来、看護教育が大学を中心に展開されるのを見据え、若い人達を研究者として育てる。看護学に関心のある人であれば、誰でも入会できる開放的な学会にして看護学の発展に寄与する、この二つの夢であった』と書かれている(記念誌67ページ)。第12回総会は昭和61年(1986)7月、弘前大学の福島松郎先生を会長に開催された。第13回総会は昭和62年(1987)8月、千葉大学看護学部の前原澄子先生を会長に東京で開催された。メインテーマは「学際的研究への志向」であった。第14回総会は昭和63年(1988)7月、千葉大学看護学部の土屋尚義先生を会長に千葉で開催された。日本看護研究学会(Part. Japanese Society of Nursing Research 351 第1回〜第7回2 第8回〜第14回学術集会33回までの歩み
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