The 50th Anniversary第36回学術集会長 深井 喜代子 第36回学術集会は平成22年(2010年)8月21日(土)〜22日(日)に岡山市で開催されました。今思えば、この時期は時代の節目であったといえるかもしれません。というのも、任意の団体であった本学会が法人化されて正式名称を一般社団法人日本看護研究学会とした年だったからです。そしてこの年は、東北大震災の前年でもありました。阪神淡路大震災から15年が経過し、日本社会が復興から希望へと向かい始めた平穏な年でした。ところが、翌2011年3月に東北大震災があり、さらにその10年後にはコロナパンデミックの世界的強襲に見舞われるという誰しも予想もしなかった時代が到来しました。この頃にはまた、日本は景気後退と少子高齢化が急激に進んで、全国大会主催者にとって栄誉ではあるものの、学術集会の主催は重責と負担を請け負う事業に変わり始めていました。本稿では、まだアナログ色が濃かった平穏な年に奇しくも主催させていただいた学術集会を振り返ってみたいと思います。 実は、純粋に看護学系の全国規模の学術集会が岡山で開催されたのは初めてであったと記憶しています。例年通り真夏の開催でしたが、他の看護学系学会と会期が重なったこともあって、危機感を持って準備に取り組みました。幸いにも、中国・四国地方会と近隣の大学と附属病院からのマンパワーを主とする全面的な協力が得られ、大変勇気づけられました。岡山での開催が決まると、まずは会場と日程を押さえ、次いで協力機関の方々、そして中国・四国各県の地方会会員から主要な役員(企画委員と実行委員)を募りました。ここでも予想を上回る数の意欲的な手上げをいただき、学術集会の様々な仕事には驚くほどスムーズに適材適所の役割り分担が整いました。本学会が擁する地方会の組織力と、岡山での学術集会を是非とも成功させようという地元の看護関係者の情熱を実感した瞬間でもありました。 会場は岡山駅コンコースから徒歩3分で繋がる岡山コンベンションセンター(一部、隣接する岡山市デジタルミュージアム)でした。蓋を開けてみれば前日の(岡山大学 名誉教授)セミナーを含め、どの会場も参加者で溢れる盛況ぶりでした。収容人数2000名の中規模会場だったことも奏功,500名余の参加者にアしたかも知れません。2日間で1,ルバイト学生62名を含むスタッフ総勢174名で笑顔・親切・丁寧をモットーに運営にあたりました。プログラムを数字で振り返りますと、全10会場(メイン会場は700席)で一般演題415題(口演129、示説286)に加え、会長講演、特別講演2、招聘講演1、シンポジウム2、さらには委員会企画による特別交流集会2、交流集会8、(ランチョンならぬ)ティーブレイクセミナー3つという構成でした。また、学会のお歴々が担当された“看護研究の倫理問題よろず相談コーナー”も若手研究者に大いに好評でした。会場で耳にした唯一の不満の声は「全部の会場に入れないのが残念」というものでした。 以上、アナログ時代の第36回学術集会の振り返ってみました。運営のヒントになりましたなら、ポストコロナの学術集会で参考にしていただければ幸甚でございます。Japanese Society of Nursing Research 39第36回学術集会(岡山市)を振り返って
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