日本看護研究学会雑誌発行50周年記念誌
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The 50th Anniversary第21巻2号〜 24巻1号担当 平成10年度〜 12年度 和文誌編集委員長 山口 桂子─本学会誌が果たしてきた役割を振り返る私が和文誌編集委員長を担当していたのは25年以上も前のことになりますので、当時の記録もなく記憶もあいまいな中での執筆であり、「日本看護研究学会雑誌発行30周年記念誌」を超える内容を正確に書くことはできないと思います。そこで、本稿では、そのあいまいな記憶を紐解きながら、本学会と学会誌が、看護学の確立のために歩んできた道のりについて、自らの関わりとともに振り返ってみたいと思います。1.「看護学」の確立に向けた学会の設立と雑誌の発行私とこの学会との出会いは、大学を卒業後3年間の臨床経験を経て、母校である千葉大学教育学部特別教科(看護)教員養成課程に臨床実習を担当する教務職員として採用されたことが契機でした。当時、この学会の生みの親となった四大学協議会は、4つの国立大学に設置された同課程の先生方が教育について協議することを目的として、1年に1回、各大学の持ち回りで開催されていましたが、看護婦(以下、看護師)免許を持つ看護教員を輩出するための大学教育を模索し、毎回白熱した議論がなされていたとうかがっています。そこには、吉田時子先生や前原澄子先生、木場冨喜先生、伊藤曉子先生といった看護師養成教育を長く支えてきた諸先生方、さらには各大学医学部を中心として看護以外の分野からの先生方が名を連ね、大学における看護教育を行う前提として、まずは「看護学」を学問として確立・成熟させることを目指して本学会が創設されました。当初の事務局が千葉大学に置かれていたことから、私は事務の一部を担当させていただきましたが、とても幸運なことでした。私が初めて本学会の前身である四大学看護学研究会に参加させていただいたのは、1979年、第5回(於徳島大学)の時でした。学会参加経験の乏しかった私にとっては、その活気あふれる発表と質疑応答は、非常に刺激的(愛知県立大学 名誉教授)で興味深いものでしたが、同時に、学会で発表することの責任や重大性、厳しさを教えていただいた場でもありました。今でこそ、看護実践や看護現象が多くの学問によって説明される複合科学であることを、私自身が教員として研究者として経験を重ねるにしたがって実感として理解できるようになりましたが、当時は、どのような研究が看護研究であるのかについて、暗中模索の連続であったと思います。この学会と出会い、一緒に歩む中で、臨床現場で人と人とのかかわりから生まれる様々な現象や看護実践を説明するためには、多くの他の学問を活用できる(しなければいけない)ことを教えていただき、その後の看護教員人生を進む上でも、この学会を通して得た学びは、貴重な拠り所であったように思います。その背景には、この学会の設立にかかわった看護学のみならず学際的な学問分野・領域の研究者である諸先輩方々の理念やかかわりが大きかったことは否めません。一方、本学会誌は学会が目指す看護学の確立のために不可欠な発信源でした。50年前、学術論文にふれる手段は紙媒体の冊子しかありませんでしたが、発足当初にかかわった先生方の雑誌編集への思いは熱く、全ての理事の先生方がほぼ全員で投稿論文を読み、繰り返し議論されていたお姿を今でも覚えています。看護学の論文は1960年代からの「看護研究」(誌)・(医学書院発行)にみられるように、数としては少ないながらも価値のある貴重な論文が発表されていました。その一方で、自分も含めて臨床の看護師が行う学会発表は根拠資料の乏しいものや説明不足のものも散見され、看護学を構築する材料としては、 “信頼性”が伴っていなかったように思います。学会設立と学会誌の編纂に込めた諸先輩方の思いや取り組みは、その後の50年間の学会誌の質の保証へのこだわりに引き継がれ、「看護学」を見えるものにする上で、大きな貢献を果たしてきたと言えましょう。Japanese Society of Nursing Research 55和文誌編集委員長としての思い出

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