日本看護研究学会雑誌発行50周年記念誌
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9241212621561723172211.The 50th Anniversary ⽇本看護研究学会編集委員⻑回想(川⼝).docx ⽇本看護研究学会「編集委員⻑」時代の回想 (医療創生大学 国際看護学部)15100504313257123282457986川⼝孝泰 (2024.08.02 記) 私は、2004 年4月1⽇〜2010 年5月 23 ⽇(第 27 巻第2号〜第 33 巻第3号)の6年間編集委員⻑の任に就いていました。この間、私のデスクの下には3つの段ボールが置かれ、その中には、査読番号順に投稿論文が納められ、採用か不採用かの判断を待つ論文たちが私私は、2004年4月1日〜 2010年5月23日(第27巻第を苦しめていました。私が担当した6年間を振り返ると、辛い⽇々の一方で多くの投稿論文2号〜第33巻第3号)の6年間編集委員長の任に就いてを読む機会にも恵まれ、自身の未熟さも痛感させられました。同時に、新規の論文が投稿さいました。この間、私のデスクの下には3つの段ボールれるたびに、投稿者の熱い思いが編集責任者の自身に圧し掛かり、編集委員⻑としての重責が置かれ、その中には、査読番号順に投稿論文が納めらをも実感する⽇々でした。 れ、採用か不採用かの判断を待つ論文たちが私を苦しめていました。私が担当した6年間を振り返ると、辛い投稿がありました。そのうちの 50 件ほどが掲載され、30 件ほどが不掲載の状況でした。当日々の一方で多くの投稿論文を読む機会にも恵まれ、自下図は、2009 年8月の理事会に投稿状況を報告した生々しい資料です。毎年 80 件ほどの時のルールでは、査読修正を求める際の暗黙の了解として、査読者に修正を指摘されたもの身の未熟さも痛感させられました。同時に、新規の論文については、原則掲載の方向で進めていました。なかには査読者のコメントに回答できなくが投稿されるたびに、投稿者の熱い思いが編集責任者自身に圧し掛かり、編集委員長としての重責をも実感するて、自ら辞退される論文も、毎年5件前後ありました。このころは 150 件ほどの論文が私日々でした。の足元に常に収められていました。当時は看護学教育の大学化に伴って、多くの方々が大学下図は、2009年8月の理事会に投稿状況を報告した教員になるための認定を得る目的で投稿されることも多く、投稿者の一生を左右するかも生々しい資料です。毎年80件ほどの投稿がありました。しれないものが私の足元に収められていたのです。 状況委員会審議中査読者選定中査読中再査読再々査読採採用用辞退新規受付新規受付(再)著者返却中不不採採用用不受理合  計2009投稿数 2007第27巻2号〜 33巻3号担当 平成16年度〜 21年度 和文誌編集委員長 川口 孝泰2008そのうちの50件ほどが掲載され、30件ほどが不掲載の状況でした。当時のルールでは、査読修正を求める際の暗黙の了解として、査読者に修正を指摘されたものについては、原則掲載の方向で進めていました。なかには査読者のコメントに回答できなくて、自ら辞退される論文も、毎年5件前後ありました。このころは150件ほどの論文が私の足元に常に収められていました。当時は看護学教育の大学化に伴って、多くの方々が大学教員になるための認定を得る目的で投稿されることも多く、投稿者の一生を左右するかもしれないものが私の足元に収められていたのです。掲載が決まり印刷物として準備する際にも、私には大きな悩みがありました。それは公表された論文が、執筆要領に沿った形として完成されないまま掲載されてしま掲載が決まり印刷物として準備うものが多かったのです(投稿者自身が最終校正をしてする際にも、私には大きな悩みがあいるにもかかわらず)。この件は、当時の編集委員長のりました。それは公表された論文が、役割にもなっていました。編集委員会では、しっかりし執筆要領に沿った形として完成さた論文誌を創っていくためには、論文誌として書面の校れないまま掲載されてしまうもの15正の重要性は、しばしば話題となっていました。この件が多かったのです(投稿者自身が最に関しては、次期編集委員長の中木先生に引き継がれ、終校正をしているにもかかわらず)。最終校正を外注することで、執筆要領に沿った形としてこの件は、当時の編集委員⻑の役割現在に至っています。にもなっていました。編集委員会では、しっかりした論文誌を創っていくためには、論文誌として書面の校正の重要性は、しばしば話題となっていました。この件に関しては、次期編集委員⻑の中⽊先生に引き継19がれ、最終校正を外注することで、20執筆要領に沿った形として現在に至っています。 80(202408.02 記)Japanese Society of Nursing Research 57日本看護研究学会「編集委員長」時代の回想

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